歌は趣味程度の上手さ下手さです(つまりは人並み)。もしくはゆるやかに死ぬ話。

年明けからこっち、のどの調子が悪いのか、歌がめちゃくちゃ音痴になっていてしんどい。年末に音楽の恩師を亡くした精神的ショックのせいかと一瞬思うも、そんな殊勝な性格していないのでまあ違うなと。花粉症のせいで鼻のどがうまく使えないせいかなとも思ったのですが、もう花粉症の時期は終わりました。原因がない。それでも、歌っても歌っても音痴(自由律俳句)。


まあ、老化でしょうな。こうやって、ちょっとずつ歌える歌も少なくなって、楽譜も少しずつ見えなくなって、聞こえる音も少なくなっていくんだろうな。こうやって、人間は毎日毎日少しずつゆるやかに死に向かっているんだな。と思いました。年を取ることは嫌ではなかったのですが(だって大人になってからのほうが圧倒的に楽だ。人生が楽だ。)、それは人生のピークを越えていなかったからだったのです。肉体が完全にピークを越えた今、非常に老化が恐ろしい。ゆるやかに、しかし確実に始まっている「老化」が私の心を抉る。これ以上向上することはなくて、むしろ好きなことはどんどんできなくなって、世界を見ることも聞くこともできなくなるのなら、いったい生きることには何の意味があるのだろう。


今日も、私はゆるやかに死に向かう。死ぬ途中である残りの人生で、私は何なら最後までできるのだろうか。何を慰みとして死に向かうのだろうか。去年までは、それが歌だと思っていた。でも違った。私にとっての「それ」は、少なくとも、歌ではなかった。慰みも何もなく、あとうん十年この世に滞在するの? 長くね?? 人生50年だった時代が羨ましい。ピークを越えれば人生も残り半分ってとこでしょう。ピーク過ぎてあと半分なら、なんとかがんばれる気がするのに。私は、何かアクシデントに見舞われない限り、まだこれまでの人生の倍以上の時間をこの世で過ごさなければならないのだ。


あー楽しく歌える体が欲しい。才能はいらない。ただ、思った音が出ればそれでいい。