フォトライフ紀行

フォトライフを久しぶりに遡ってみた。画質ザラザラの完全ガラケー画質であるばかりか*1、何の加工もされていない、何の面白みも意図もない写真ばかり*2だったので、流れてくるハイクで見せられてたほうはたまったもんじゃなかっただろうなとウン年の時を越えてハイカーの皆様の不幸を思いつつ、けれども自分の思い出として見るにはすごく良いなあとしれっと思った。今は、写真にしろツイートにしろハイクにしろ、ありもしない他者の目線を気にしすぎていてつまらん状態になっていることに気づきました。まったく気づいていなかった。フォトライフiPadのフォトの画像を見比べるまでもなく、今に近づけば近づくほど、つまらん写真ばかり撮ってる。おもしろいおもしろくないに正解はないかもしれない。でも、私がつまらんと思うのだからそれはやはりつまらんものなのだ。


言葉もそうだ。個人情報保護の観点を踏まえて書こうとすると、自然当たり障りのないことばかりになってしまうのは仕方ないとしても、もっと、日々のどーでもいいことを、誰かを楽しませるためのこととか、何かをひけらかしたり自慢したりするためのことじゃなくて、ただただ自分が楽しかったりほくほくの満足したことだったりを、事の大小関係なく好きに書き散らかせばいいじゃない。寝坊しようが早起きしようが、体調が良かろうが悪かろうが、化粧のノリが良かろうが悪かろうが、俳優の○○クンが格好良かろうが可愛かろうが、私以外の誰にもクッソどーでもいいことだし、お互い他人が何食ってるかなんて興味もねーですし、どこでも売ってるコンビニ菓子の写真なんて載せたところで物珍しくも何ともないけれど、ただ一人、未来の私は楽しいらしい。少なくとも7年前のフォトライフやハイクを見て今の私はそれなりに楽しんでる。楽しめちゃってる。そうして、上がったテンションのままこうしてまたはてなに文章を載せている。なんて良い循環なのだろう。


ウケを狙うことも悪くないと思っている*3。でも過去の自分の素朴なハイクや写真のほうが、今の私にはすごく面白かった。

*1:今もガラケーユーザーですが

*2:なお、今撮る写真にも何の面白みもない

*3:私の言葉はそうそうウケないけど

ぱふゅちゃんと一緒に踊る村上くんを(あんまり大きな声では言えないけれど)ネットの海で見かけて、あーこの感じ好きだなーって思った。この感じの村上くん好きだなーっと思いました。ある視点から見れば大草原なんだけど、反対側から見るとたまらんカッコいい。


そこから芋づる式に、あの自意識過剰がいまだガラケーユーザーであるということを知ってたいへん萌えましたありがとうございます。スマホと2台持ちなのかは知らぬ。私もまだまだガラケーユーザーとしてがんばろう。

ゆめのはなし

こんな夢を見た。


私はエイトコンの会場にいた。客席に立って、ステージを見ていた。会場は、松竹座のような、国際フォーラムのような、そんな場所だった。下手側の1階席で、久しぶりにエイトを見た。
私は、それがエイトの解散コンサートと銘打たれていることを知っていた。コンサートを見ながら、「ああだから久しぶりに来ようと思ったんだった」と参戦理由を思い出していた。
コンサートも佳境になったところで、ゲストがいると報告があった。ざわつく会場。呼ばれて上手から出てきたのは、内博貴その人だった。


8人が横に並んで、パフォーマンスをした。私は泣いていた。けれども、東京ドームのあの日よりは至って冷静だったように思う。泣き崩れるほどには泣いていないし、7人で活動している間にファンになった人のことも気になっていた。でも、泣いた。8人が横に並んでいることに涙した。
漠然と、「ああ、だから『解散』コンサートなんだ」と思った。今までのエイトを一旦終わらせて、8人で改めて歩んでいくための「解散」なのだと。そこで夢は終わった。




まったく失礼な夢ですなー。なんでこんな夢を見たのかさっぱり分かりません。強いて言うなら、ここ最近(と言っても一年くらい)ツイッターのフォロワーさんがどうやらエイトにハマったらしくて、ぽつぽつエイトの名前が呟かれるので、そのせいですかな。呟きを見ていると思うのです、「内がいない」と。いや当たり前なんですけども、その当たり前を思い知らされる。内のいた頃を知らないファンがいることはもちろん、待ち続けたあの数年間を知らないファンすら当然いる、あれだけの人数が色分けされていて、なぜ割とスタンダードなピンク色の担当が7人の中にいないのか、それすら知らない人だっているかもしれない。この世界に内はいない。


だからと言って、だから新規は駄目だなんて思いやしません(そもそも私はファンじゃない)。ただ、その事が地味に私の心を抉るのもまた事実なのです。嘆きやしませんが、心はちょっと傷んでる。なかなか誤解を生みそうですが、文句は言わないけど、ショックくらい素直に受けさせて、ということです。現代のエイトファンを詰るつもりは毛頭ありません。でも傷つかせて。その事実に傷つくことが、私がかつてエイトを愛した証明なんだ。




内は戻ってこないし、エイトは解散しないよ。ヨユーで分かってる。どちらも今のファンの望むところではないだろうし、もしかしたらきっと8人もそう。2005年に取り残された人間だけが望むこと。だから、夢くらい見たっていいじゃない。ああいい夢だった! やはり、私は二度とエイトのファンには戻れない。