ゆめのはなし

こんな夢を見た。


私はエイトコンの会場にいた。客席に立って、ステージを見ていた。会場は、松竹座のような、国際フォーラムのような、そんな場所だった。下手側の1階席で、久しぶりにエイトを見た。
私は、それがエイトの解散コンサートと銘打たれていることを知っていた。コンサートを見ながら、「ああだから久しぶりに来ようと思ったんだった」と参戦理由を思い出していた。
コンサートも佳境になったところで、ゲストがいると報告があった。ざわつく会場。呼ばれて上手から出てきたのは、内博貴その人だった。


8人が横に並んで、パフォーマンスをした。私は泣いていた。けれども、東京ドームのあの日よりは至って冷静だったように思う。泣き崩れるほどには泣いていないし、7人で活動している間にファンになった人のことも気になっていた。でも、泣いた。8人が横に並んでいることに涙した。
漠然と、「ああ、だから『解散』コンサートなんだ」と思った。今までのエイトを一旦終わらせて、8人で改めて歩んでいくための「解散」なのだと。そこで夢は終わった。




まったく失礼な夢ですなー。なんでこんな夢を見たのかさっぱり分かりません。強いて言うなら、ここ最近(と言っても一年くらい)ツイッターのフォロワーさんがどうやらエイトにハマったらしくて、ぽつぽつエイトの名前が呟かれるので、そのせいですかな。呟きを見ていると思うのです、「内がいない」と。いや当たり前なんですけども、その当たり前を思い知らされる。内のいた頃を知らないファンがいることはもちろん、待ち続けたあの数年間を知らないファンすら当然いる、あれだけの人数が色分けされていて、なぜ割とスタンダードなピンク色の担当が7人の中にいないのか、それすら知らない人だっているかもしれない。この世界に内はいない。


だからと言って、だから新規は駄目だなんて思いやしません(そもそも私はファンじゃない)。ただ、その事が地味に私の心を抉るのもまた事実なのです。嘆きやしませんが、心はちょっと傷んでる。なかなか誤解を生みそうですが、文句は言わないけど、ショックくらい素直に受けさせて、ということです。現代のエイトファンを詰るつもりは毛頭ありません。でも傷つかせて。その事実に傷つくことが、私がかつてエイトを愛した証明なんだ。




内は戻ってこないし、エイトは解散しないよ。ヨユーで分かってる。どちらも今のファンの望むところではないだろうし、もしかしたらきっと8人もそう。2005年に取り残された人間だけが望むこと。だから、夢くらい見たっていいじゃない。ああいい夢だった! やはり、私は二度とエイトのファンには戻れない。