好きの源泉

勉強を面倒がる癖になんで王朝文学・中古文学が好きかとか、趣味と言うほどの読書好きでもないのになんで結局本を読みたくなるのかとか、なんで古今和歌集を読んでたまらなくなるのかとか、なんで時おり文語が欲しくなるのかとか、その理由が説明できたらどんなに良いだろうと思う。でも時代の順序も名前すら覚えられなかった小学生時代に、社会科の教科書にあった平安貴族の一日のタイムラインをわくわくして眺めたり、大化改新*1の二、三行に訳もなくときめいてテンション上がってヒャッホーしたり(昔から若い貴公子が好きなのね…*2)、漫画日本の人物の紫式部を何度も読み返したり(清少納言はなかった。あったら読んでいただろう。)していたのだから、理由もくそもなくこれはもう宿業なのだろう。(まあ卑弥呼も一生懸命読んでいたので、単に女性が好きだったのかもしれませんが。)(でも淀君も読んでいたけれど頻度は低かったなー)(戦国興味薄事例がここにも…)


しかし宿業で片づけるには私は勉強嫌い過ぎるし、知識もなさすぎるし、サブカルおっけー☆過ぎる。気がする。自分で自分が分からないとはこのことか。自分探しの旅に出ようとも、行く先は本の中にしかないわけだが、几帳とか脇息とか襲とか単衣とか中将とか蔵人とか出てきた瞬間にテンション上がってもうどうでもよくなってしまうのだ。


「好き」ってどこからくるのだろう、ってことです。

*1:というか乙巳の変

*2:実際はめちゃめちゃエグい事件ですが、やっぱり今でも興味深く思う歴史上の事件です。