十年前の私に

あけましておめでとうございます。生まれました*1。記念日がこの時期だと、元日から昨日までが準備運動で、当日がきていよいよ一年が始まるような感覚です。本年もよろしくお願いいたします。


昨年は、仕事でもオタクゴトでも私史上一番「やらかした!案件」が量質総計トップな一年でした。あと体調面でも、血穢(前も)がやけにしんどくなったり、そうでなくともホルモンバランス崩れまくって精神不安定だったり体重激減(当社比)*2したり、メイクや髪型が「決まった!(当社比)」って思える日が激減したり、集中力がとにかく落ちて仕事に支障をきたしたりと、とにかく体の変化を感じる一年でした。わー加齢恐ろしい。


でもオタゴトとしては、る典に始まり*3、秋には封神演義再燃して大騒ぎをし、見る予定のなかった松を見てしまってオリジナル(?)アニメに人生初めてすっ転び*4、さりげなく日本史古代沼によりハマり*5、最後の最後で再びるひま(恒例)。楽しい。私の一年楽しすぎる。


こんなに楽しい一年ですが、最近とみに集中力が途切れる結果、楽しかったこと、萌えたネタ、深読みしたいと思ったこと、それらが全て脳みそからこぼれ落ちているのです。いーつのーことーだかー、おもいだせないんだよー、あんなーこーとーこんなーこーとー、あーったーのにー(笑えない)。老化ですね。イエス老化。脳の、と言うよりも、体全体の。体力の低下も確実に影響していると思うし。


そんな中で、納祭についてぐだぐだと書きなぐってみたこの年末年始でしたが、なかなかどうして具合がよくて。やっぱり書かないとまとまらない。あれだけとりとめのないことであっても、書けば書いただけ思考は深まる*6。書くことは自分を知ることだと、改めて気づいた。十年前はちゃんと分かっていたのにね。うん、やっぱり、書かなくちゃだめだ。


林原めぐみ閣下の曲に、「thirty」という一曲がある。女史が30歳を迎える時に書いた詞で、30歳の自分が「十年前の私」と「十年後の私」にそれぞれこう伝えたい、と歌う。私が初めてこの曲を聞いたのは、それに値する更に十年近く前の年齢で、だから二十代の過ごし方と四十代の迎え方に対する考え方は、確実にこの曲に影響を受けている。女史は、「思いきり無理をし、がむしゃらにぶつかり、しっかり傷つけ」と十年前の自分にメッセージを送った。そして、十年後の自分は「少しは優しくなれていて、自分以外の誰かを大切にしていたら素敵ね」と歌った。そうなのだ。私の「思いきり無理をし」たり「がむしゃらにぶつか」ったりする時代は、終わりに近づいている。それで許される時代は、もうすぐ終わる。次の時代に、私は何ができるだろう。人は、昨日と今日では細胞レベルでは別人だ。けれども、人は一日では変わらない。考えなくてはいけない。次の時代に、一体私は何をすべきなのだろう。


二十歳を迎えたときのブログを読んだ。二十歳を迎えた嬉しさで、たいへんなうかれぽんち具合だった。こんなことを書いていた。

とにかくとにかく、自分が幸せなように二十代を過ごせたらと思います。(中略)
十年後、「あー楽しかった!次もこれくらい楽しいとイイナ☆」と言えたら素敵ですよネ。
頭悪いほどのポジティブを取り戻して、人懐こさを取り戻して、自分大好きになる。10年あれば多少はどうにかなるでしょ。

これを読んで、「ごめんねぇ」と思う自分に驚き、呆れた。特に仕事の面では、悲しいくらいに自信を喪失しているし(いつまで経ってもミスが多すぎる)、少なくとも、現段階において二十代を「ああ楽しかった」とは振り返れない。楽しいことはたくさんあったけれども、「次の十年もこうならいいな」とは思えない。むしろ、この人生を手放したいと思うことが年々増えている*7。ああこの十年、何をしていたのだろう。せめて、せめてこの一年は、挽回しよう。九年分のツケを少しでも返してやるんだ。少しでも、「次の十年」を楽しみに迎えられるよう準備しよう。

*1:間に合わなくて、日付詐称投稿だけども

*2:大したほどはないですが、身長のびきってからの最低体重をマークした夏でした。

*3:光秀とピロシキへのラブがしばらく止まらなかった。ラブが行きすぎて遠藤周作の『反逆』を楽しく読んでしまいました。

*4:言うて水浴び程度ですが。

*5:素敵なツイッターアカウントを見つけてしまい、その方の影響をもろに受けています(染まりやすい)

*6:深まったところで更にとりとめなくなるだけで何の実にもならないが、そもそもぐだぐだと捏ねくりまわすことそのものが好きなだけなので願ったり叶ったり。

*7:自殺願望ではないので、ご心配なく