ついったの話

シナリオの方が、ついったで過去を振り返っていらした。そんなもの振り返ってしまったら、あの、作画交代の話をしないわけにはいかないじゃないか。そして日下さんは、そのお話を、真っ向からなさっていた。


読んでいるうちに涙が出てきた。当時のことは知らない。イエロー編の途中で小学校を卒業した私は、そのあとポケスペを読むことをしなかった(他の漫画に夢中だったからである)。けれども、漫画売り場に定期的に赴く生活に変わりはなく、ふと、平積みされた表紙を見たら、絵柄が変わっているような気がした。作画の方のお名前を見たら私が小学生の頃に見ていた方とは違うお名前だった。だから、作画交代のことは比較的早い段階で知り得ていた。


あのときのいちばんがポケスペだったなら、私はどう感じていただろう。それも、想像に難くない。私は、ただ一度読んだポケスペに心を奪われて、その頃購読していた少女誌の購入を止めてまで学年誌を読んでいたのだ。小学生に、あのストーリーの素晴らしさなど半分も分かるわけがない(ましてや一話こっきりでそんな)。作画に、一目惚れをした。


よく覚えてるんです、そういうの。


でも、幸か不幸か再び舞い戻ってきた私はもう大人だから、駄々をこねるようなことは思わない。日下さんにしろ、山本さんにしろ、真斗さんにしろ、よほどお辛かったろうと想像するだけの、能力はついている。けれども、「どう辛かった」とか「何があった」とか、そういった具体的なことはあくまでも個人の妄想の範疇を超えないわけで、ましてや大人になりすぎて物事に思いを馳せなくなった私には、さっぱり了解することのできない分野である。だから、今更舞い戻ってきた一読者の預かり知らぬ、過去のお話を読んで、すみません号泣しました。何気取りだ私。年寄りは涙もろくてアカンヨー。


読者に対してのメッセージを綴った日は、「10年間、このことを君たちに伝えたかった。」という言葉で締めくくられていた。新しい作画のポケスペは、十分すぎるほどの人気を誇っているように思う。十年振りに戻ってきて新しい方の作品を読んだ私から見ても、十二分にポケスペでした。あれから十年が経って、ポケスペの作画=山本さん、というのが揺るぎないものになった。あれから十年が経って、真斗さんのお加減はだいぶん快方に向かっているらしい。あれから十年が経って、あの頃の子どもたちのほとんどは、大人になった。大人の話ができる年頃になった。あれから十年が経って、ポケスペという作品の価値も、だいぶ揺るぎなくなり、そうして、十年という時を経てやっと、話のできる状況になったのでしょう。


墓まで持ってけ!という意見の人もいるかもしれない。そんな大人の事情を、伝える必要はないかもしれない。聞いたことによって、もしか傷ついた人がいたかもしれない。けれど、聞けてやっと救われた人は絶対にいる。十年越しに、答えをもらえた人はきっといる。


過去は、思いは、言葉にしてしまえばたったこれだけ?と思うような形におさまってしまう。お行儀よく鎮座して、それ以上暴れない。発信者をそれ以上掻き乱さない。そうして、言葉に直す作業から零れ落ちたものは、ともすれば忘れてしまう。だから、大切なものを言葉にして残す、伝える、ということを選んだシナリオの方に、尊敬と感謝の意を感じるのである。私が泣いたのは、過去の思いに同調したのが半分、あとの半分は、今これを書こうとした日下さんの思いや、伝えたくても伝えられなかった十年間とか、そういったものに心が震えて、である。


よく分からない話ですみません。たまにはじっくり書いてみたかった。でも推敲してない。時間切れなので、上げちゃいます。あとで直す!