ラジオスターの憂鬱

すみません、大変たいへん今更なのですが、いまさらやっと、レコメンのDJが交代していたことに気づきました…(本当に今更)。




離れすぎてて、一切の情報を入手していないことは自覚しておりましたが、まさかそんな大事なことに十ヶ月越しに気づくとは。というわけで世間から遅れること十ヶ月、今わたしはショックを受けております。


離れた私が何をどうこう言う筋合いないけれど、離れられたのはあまりにも辛かったのと、それから、少しばかりの安心感を得ていたからでした。大騒ぎしなくてもCDが売れて、テレビでエイトを見る日が増えて。コンサートのチケットもどんどん取れなくなって、そんな日々に安心したから、ああじゃあもうこんな辛い思いしてまでしがみついていなくていいかなと、ふとそう思ったのです。貧乏学生がCD一枚買おうが買うまいが、雑誌一冊買おうが買うまいが、何も世界は変わらないわけですが、それでも、その「一」が何かの足しになっているんじゃないかと思っていたから。今でも私が何かを購入することは、たとえ「一」でも何かの足しになるとは思っていますが、しかしたぶん次に私がエイトに「一」を捧ぐとしたら、それは彼らが彼らにとって不幸せな状況に陥った時です。だから、私がエイトに「一」を捧げる日は、もう二度と来ない。来なくていい。


横山さんと村上さんが毎週あそこにいる限り、意味もなくああ安心だと思っていた。横山さんと村上さんのベースが変わらなければ、安心だと。何が安心なのか、自分でも分からないのだけれど。もしかしたら、彼らがそうしていてくれれば私の愛した日々は色あせずにそこにあるとか、辛いことがあったときに開く卒業写真的な何かを求めていたのかもしれなくて、そう思うと彼らの変化はあってしかるべきだったのかもしれない。今日は昨日の連続だけれど、今日は今日で、昨日は昨日。訣別すべき過去がある。けれども、私は一つの心の拠り所を失った。聞きもしないラジオ番組を掴まえて「心の拠り所」などよく言えたものだが、そのことを知らなかった十ヶ月間、私にとって横山さんは変わらず毎週木曜生放送をお届けするラジオDJだった。だから、「安心」だった。まるで幽霊を見た気分だ。ないものを、あると信じ込んで、私の目にはずっとそう映っていた。催眠術で人は飛べる。その暗示が解けたとき、人はどうすればよいのだろう?


何を言いたかったのか、自分でも分からなくなってまいりました(苦笑)。とにかく、情けないやら恥ずかしいやら、今更その大事件を知ったという記録を残しておきたかっただけです。