ラジオ朗読感想「『妹』という祝福」と、派生してラブレター

 私には妹がいる。ところで、昨日と今日これを聞いていた。

朗読 上白石萌音が読む 辻村深月「『妹』という祝福」
12月30日(土)午前6:05放送

https://www.nhk.or.jp/radioondemand/share/544_3462.html

(2024年2月24日(土)午前6:20配信終了)

 とても面白かった。辻村さんの、平易でまっすぐな言葉の運びと、萌音さんの、"訥々とした"とも"淡々とした"とも違う、なめらかでやわらかで落ち着いた声がとても心地よくて、言葉の認識には多少視覚優位の傾向が強めの私でも、物語がすとんと入ってきた。第4回のラスト、「ハートのキーホルダー」のくだりで泣き、第5回はほとんど泣きながら聞いていた。

 

 私には妹がいる。この作品の姉妹のように年子ではなく、中学生活が被ることもなく、性格は違えどお互い同じ穴の狢*1だったおかげか仲が悪いこともなく、同居姉妹でいることができていた。それでも、絵に描いたようなオタクであった私に対して、花形の部活に所属し華やかな女の子たちに囲まれて過ごしていた妹*2が、多感な時期に姉のことをどう思っていたかは分からない。仲は悪くないが、込み入った話をすることもほとんどなかった。(ただしこれは、私も彼女も「他者に対して多くの自己開示をしない」「他者に深入りしない、させない」という性格であることにも起因しているのかもしれない。つまり、相手が「私」でなくても、「彼女」でなくても、私たちはこういう人間関係を構築していたのかもしれないということが多分にして考えられる。)

 彼女が悩んでいるとき、私は味方になるどころか、その土俵に載ることすらなかった。(これは、私の「落ち込んでいる相手に寄り添う」能力欠如のせいかもしれない……こいつに相談しても無駄や……的な……(遠い目)) だから、彼女が姉のことをどう思っていたかは皆目分からない。

 それでも、私は彼女のことが大好きだ。若い頃は、その「うわべの仲の良さ」のような自分たちの関係が、ちょっと気になっている節がないこともなかったかもしれない。ちょっとだけ。ちょっとだけね。(基本ネアカ(死語)なんで……) 今はもう大人なので、「それが私たちにとってちょうどよい距離感だったんだ」と思えるし、彼女が姉のことをどう思っていたにせよ、私は姉よりもずっと可愛くて頭もよくて芸術的センスがあって繊細な妹が大好きで、それでいいかなと思っている。実際、離れて暮らす今でもよくメッセージのやりとりはするし、電話もするしね。

 可愛い可愛い妹が幸せであること。それが私にとっての祝福なのである。

*1:と書いてオタクと読む

*2:も性格的には陰の者ではあったと思うが笑